挨拶という名の暴力と神聖な領域

いつも一人で遊びに来られる別荘所有者の方がいる。

数ヶ月に一度やってきて、一週間ほど滞在して帰っていく。

その方は夏の観光シーズンに来ることはほとんどない。

シーズンが終わり、少し涼しくなってほとぼりが冷めた頃にやってくる。

林道

ある日、林道を散歩しているとその方とばったりと出会った。

とりあえず「こんにちは」と挨拶をしたのだが、その方は一瞬こちらの目を見ると、まるで私がいなかったかのように素通りしてしまった。

その時は、世の中色んな人がいるんだなーくらいにしか受け止めなかった。

特に気にすることなく散歩を続けた。

ふと思い出す

帰宅して夕飯を済ませてボーっとしている時にふと思い出す。

なぜあの時あの方はこちらの挨拶を無視して素通りしたのだろうか、と。

過去の記憶を掘り起こしてみる。

そういえば、今まで一度だけ会話を交わしたことがあった。

その当時は確か、小屋建築がひと段落した頃で向こうから話しかけてきた。

ずっとこちらに住まれるのですか?とかそんなことを聞かれた気がする。

もしかしたら、誰もいないはずだったオフシーズンの別荘地に私が定住していることが気に入らなかったのかもしれない。

仮にそう思われていたとしても、こちらとしてはどうしようもないのではあるが。

今では、あの時に挨拶などしなければよかったと思っている。

別にその人のことが嫌いだとかそういうわけではない。

そもそも私にとって、自分以外は所詮他人である。

基本的に他人に興味がないので、他人に対して怒りだとか憎しみを覚えることはない。

他人に対してそのような感情を抱くことは無駄であり、そんな暇があるのであれば、その貴重な時間を自分のために使うべきだと思っている。

もし、他人に対して自分の労力を割いてまで何かをすることがあるとすれば、それは相手を満たしてあげたという自己満足を得るためである。

次回からは、その方とは出会ったとしても挨拶も会話もしないだろう。

決して相手の領域に足を踏み入れてはならない。

その領域とは、その人の中にのみ存在する誰にも侵されてはならぬ神聖な領域である。

今夜も月が美しい。

月明かり

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コメント

  1. gg より:

    特に気にすることなく散歩を続けた。

    ・・気にしてるじゃん

  2. りうか より:

    他の人を気にしないことと礼儀はまた別物に思いますがね…。
    まぁでも自分から無視すれば他人に無視されても文句も不満も持つ資格はなくなるので、ある意味楽になりますね。

    • たるかり より:

      私は、他人に興味がなく怒りや憎しみを覚えることはありませんが人には気をつかいます。
      今回の方とは、話しかけずにそっとしてあげることが礼儀だと私は思っています。
      それぞれ事情があってやってこられると思うので。

  3. 坂口佳久 より:

    こんばんはm(__)m
    そもそも、別荘地にやって来る理由の一つは、都会の喧噪から逃れる為の人が多いからでしょう?
    別荘に居る時も、人に気を使っていたら、疲れてしまいますよ!
    たるかりさんは、日常でしょうが、相手は非日常なんだと思います。
    不動産屋から聴いた話だと、なるべく近くに家が建っていない土地を探す人が多いそうですヨ!

    • たるかり より:

      今回素通りされたことは一つのメッセージだと考えていて、今後は何も話しかけずにそっとしてあげることがその方に対して私ができる配慮だと思っています。
      何も考えずに挨拶をするということは、時には暴力になり得るのだと今回の件を通じて学びました。