損得勘定という考えと今と未来

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先日、取引先へ請求手続きをしに行った。

直接契約なので、見積書やら納品書やら請求書やら全部自分で作成して請求する。

これらの作業は慣れないうちは苦労をしたが、慣れてしまえば大したことはない。

会社員の頃から一緒にお仕事をしていた方と久しぶりに話せて楽しかった。

仕事の話はほとんどしなかったけど、それくらいの関係が良い。

さよならは言わない約束。

さよならは言わない約束

これで収入は確保されました。

生活に必要なものは全て揃っています。

衣類は、会社員の頃に溜め込んだ服がたくさんありますので特に困っていません。

食については、高級料理を食べたいとは思わないし、味噌汁と米と卵があれば自分はそれで満足できます。

ここ日本において、生きる上での生活必需品は簡単に手に入るし、水に至っては汲み放題です。

住むための環境も整いました。

その他のなくても困らないものを手に入れるために生活のほとんどを捧げるのは勿体無い事だと思っています。

誰かのための生活ではありません。

自分のために生きています。

 

いくら稼いだとか、いくら使ったとか、いくら節約できたとか、そういう考えは極力排除したいと考えています。

損得勘定で物事を考えると、何をしたいのかよくわからなくなってきます。

過去に100万円を投資詐欺で溶かしましたが、特に怒りは感じませんでした。

それよりも、奥様と可愛いお子さんと共に家庭を築いている彼は、なぜ人を欺いてまで他人のモノを奪いたがるのでしょうか。

そしてなぜ私は、100あるモノを150に膨らませようと考えたのでしょうか。

結果的には膨らむどころか失ってしまいました。

結局、私は何をしたかったのでしょうか。

 

現代社会においては、与えられた仕事に対して日々、満足感を得つつ生活を廻していけるのであれば、給与所得者になることが、最も簡単にお気楽な生活を送ることができる近道だと考えています。

それができない自分は、小屋を建てたり、出稼ぎをしたり、放浪したりします。

いわゆる「普通」という誰が決めたかわからないレールに乗ることができないので、遠回りするしかありません。

でもそれでいいと思うのです。

基本的にはその時にしたいことをすればいいと思います。

小屋暮らしがしたくない時には無理にしなくとも良いし、したくなったら山梨に行きます。

生活が廻らなくなりそうになったらそこでなんとかします。

将来のことを放棄しているわけではありません。逆です。

食いっぱぐれないよう、どうしようかと考えています。

ただ、老後を含めたそれまでの生活を細かく計算して計画を立てたとしても、社会が変化するだろうし、その前に自分の考えが変化するかもしれません。

今やりたいことは、今すればいいです。

老後にやりたいことは未来にでもやって、今無理にする必要はありません。