自分に折り合いをつける

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1月中旬の大雪以来、バイクが雪で埋もれていたけどようやく動かせるようになった。

約2週間経過してようやく雪かきをする気になった。

毎日歩いて膝を痛めてしまったため、そろそろバイクを動かせるようにしないと生活に支障が出てくると思った。

久々のスーパーカブ

 

やらなくても生きていけることについて、僕は全くやる気が起きません。

それは行動に限ったことではないです。

モノについても同様で、なくても問題なければそんなものいらない。

もう小屋も建てちゃったし、バイクなんていらないんじゃないかと今回思ってました。

実際、なくてもなんとかやっていけました。

今回の大雪では徒歩だけで生きてはいけたし、積雪時以外に限りますが、ちょっと遠出したければ自転車でなんとかなるかもしれません。

でもそれを一年中やり遂げようとすると途端に重く感じてきます。

別に精神修行をしたいわけではありません。

自分の生活を豊かにするものであれば喜んで利用します。

 

お金に関しても同様です。

お金が全くかからない生活は僕にはちょっと重いです。

必要なもの全てを自給をしていけば可能なのかもしれないけど、自分にはどうしても作り出せない別のモノやサービスが欲しい場合は、お金なしの生活だと、誰かから頂くとか交換とかする必要が生じてくる。

そうなってくると、深い人付き合いをしなければいけないとか他人の目を気にしなければいけないとか「しなければいけない」が増えてしまう。

僕はそういうのが苦手です。

では有り余るだけのお金があればいいのかというとそういうことでもありません。

お金を稼ぐためには誰かの欲望を満たさなければいけません。

その対価として今度は僕が欲望を満たす権利を手にします。

結局のところ、お金にしても「しなければいけない」はついてまわります。

 

どこかで折り合いをつけなければいけません。

最大限の「してもいい」を維持しながら「しなければいけない」を最低限に抑える。

だから僕は、お気楽な生活をローコストで維持する生活を目指しています。