物語にこだわりすぎた

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中国からベトナムを望む。

二つの国を自由に行き来する筏。

滝を眺めながら煙草を吸う男達。

ひまわりの種を食べながら世間話をする女達。

川で水遊びをする子ども達。

滝が素晴らしいのはもちろんなのだが、僕はこういった人々の「日常」に興味がある。

彼らの日常は豊かに見えて、とても眩しかった。

 

 

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この村に来てわかったこと。

物語にこだわりすぎた。

その物語のエンディングに到達できるならば、最短距離でも遠回りでも構わないと思っていたが、物語そのものを疑ったりエンディングを変えようとは思わなかった。

それを疑うないし変えるということは、人生に対する妥協であり、諦めだと考えてきた。

人生は自分を中心に回っているのは間違いないが、そこには他人という制御不可能な要素が絡んでくる。

全てが思い通りになることはない。

 

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やはり僕は旅が好きだ。

せっかく小屋というローコストで最低限の生活が可能な拠点を手に入れたのだから、それを利用しつつ”なるべく”好きなことだけをして軽やかに生きていきたい。

その”なるべく”を、0でも100でもなくてその時の気分によって変えていきたい。

嫌になって妥協したり諦めたり、急にやる気に満ち溢れたりすることもあるかと思う。

そういった0と100の間を行ったり来たりする過程を楽しみたい。

さて、探し物は見つかった。

そろそろ日本に帰ろうと思う。